初めて投稿します

娘がうまれてから難病と診断され、今に至るまでいろんなことがありました。
小さな娘が病と闘っていたことの記録を残しておきたい、もし同じような境遇の方の力になることがあるなら・・と考え
自分の気持ちの整理もしながらブログに記録していこうと思います。
2017年10月、我が家に初めての女の子が誕生しました。
生れた日の朝方陣痛で目が覚め、助産院へ連絡。
上のお兄ちゃん2人を保育園へ送った後、そのまま助産院へ行き診察。
モニターを付けて診察するも子宮口がまだあまり開いていないとの事で病室へ案内され、
院内の階段を登ったり下りたり、廊下を歩き歩きしているうちに陣痛の感覚が短くなってきた午後3時頃
分娩台で診察し8㎝開いているとの事て助産師さんらが準備を始めました。
どんどん短くなっていく陣痛の感覚と久しぶりのあの声にならないほどの痛みに耐え、
午後4時44分に娘は誕生しました。
可愛い産声を上げ、元気に誕生してくれたことに感謝し、産まれたあとも興奮が収まらず、お父さんに写真と動画取ってきて!
とお願いして娘の様子を見ていました。
夕方、お兄ちゃんたちが保育園からの帰りに赤ちゃんを見に来てくれ、
窓ガラス越しにかわいいー

と見入っていました。
産後の幸福感、3人経験したけど出産するたびあの幸福感は忘れられません。
入院中、後陣痛と闘いながらも娘と幸せな時間を過ごし順調に成長してくれて母子ともに退院することが出来ました。
その日は家族で出産祝い。
ミルクの時間が安定せず、夜泣きはするけど、赤ちゃんと幸せな時間を過ごしていました。
生後2週間がたったころ、夜も抱っこでないと眠らず良く泣いていた娘、沐浴の時に左の首リンパの所と後頭部に小さなコブが出来ているのを発見。
ネットで検索しても赤ちゃんにはよくあること書かれていて少し様子を見る事に。
2日ほど様子を見ましたが大きくなってきている様子だったので、出産した助産院系列の小児科を受診。
すぐに県立病院への紹介状がでて、直行で県立病院小児科を受診。
首を動かすと痛がっている様子もあり、その日から入院しました。
小児外科の先生と一緒にエコーで見たり、CTを取ったりといろんな検査が始まり、入院中も抱っこをしているときは眠ってくれるけど
ベットに置くと痛いのか泣いて起きる娘。
産後、不安定な精神状態と上の子たちの時には経験したことのない事、コブが出来始めてから娘の事がとても心配で毎日泣いていました。
1週間ほど入院したころ、首のコブはパンパンに腫れて腫瘤となっていましたが、小児科の先生もこれまで経験がないとの事で
経過を見ていました。
始めはコリコリしていた腫瘤の真ん中が柔らかくなり、小児外科の先生に後頭部は注射器を使って腫瘤を抜き、首は小さく切開することになり
摘出した腫瘤を検査へ回してくれ、腫瘤の中身が黄色ブドウ球菌だったとの報告を受け、それから一日バンコマイシンという黄色ブドウ球菌に効く薬を投与し治療していきました。
3週間たったころには、腫瘤もなくなり娘も良く眠れるようになってきたころ、退院し、外来で経過を見ていくことになりました。
始めは1週間に1回の診察。と血液検査、安定してきて2週間に1回、1か月に1回と予防接種を受けながらも順調に経過観察に通っていました。
2018年2月鼻水が多く耳鼻科を受診、鼻水は収まったあとも耳垂れがあるとの事で耳鼻科が開いている日はほとんど通っていました。
同じころお腹にも皮疹が出始め、皮膚科を受診、軟膏を貰って様子を見ていましたがお腹のウエスト部分全体にまで皮疹が広がり、頭部にも皮疹が出始め県立病院、通っていた皮膚科とは別の小児科と皮膚科が一緒になっている病院を受診。
あせものよりというものだろうとの事でまた別の塗り薬を処方され、頭部の皮疹は一旦良くなっていましたが、また2週間ほどたったころ皮疹が出始め受診。
経過観察で通っている県立病院の先生へも耳鼻科と皮膚科に通っている事を話しましたが、血液検査で異常もなく、そのまま経過観察。
2018年6月左耳の後ろに小指の先ほどのコブができ、経過観察で通っている県立病院と民間で評判の良い小児科を受診し、相談しました。
民間の先生が、今出ている症状が何かの病気の関連で出ているかもしれないとの事で、改めて県立病院の先生へ紹介状を出してくれました、再度県立病院の小児科と皮膚科を受診し血液検査しても異常が見当たらないとの事で皮膚はステロイドの軟膏を処方され通院、
小児科は変わらず経過観察。
耳の後ろのコブもどんどん大きくなり、左のこめかみ当たりもこぶが出来始めて、新生児の時に首と後頭部にできた腫瘤を切開してくれた
同じ県立病院の小児外科の先生の予約を取り受診し、これまでの事を相談しました。
小児外科でも悪性の場合は摘出になるが良性の場合は様子を見ているとの事でしたが、
どんどん大きくなっていくコブを全身麻酔で一度切開し、状況をみて全部摘出するか決め、念のため病理検査に出してみましょうとの事で2018年9月初めに娘の手術が決まりました。
手術の日、摘出したらもとに戻っていくだろうと思っていましたが、予定の手術終了時間を過ぎてもなかなか戻ってこず、
1時間過ぎたころにようやく娘が戻ってきて、先生からの手術中の説明を受けました。
「耳の後ろに出来ていたはずのコブは頭の骨を溶かし、脳の膜が見えていたので急きょ脳外科の先生へコンサルし、見てもらったとの事。
普通の腫瘤とは違う為、一週間後病理検査の結果を聞きに来てください。」との事でした。
手術は無事に終え、娘も全身麻酔から目を覚ましましたが1晩副作用の吐き気と熱発をし三日後に退院し、
先生と約束の一週間までの間、不安であまり眠れない日々を過ごし、結果を聞きに受診しました。
先生は本当にごくまれにしかない難病で100万に5人と言われる病気でこれから治療することになるだろうけど
この病院では治療が受けられず、大きな病院へ紹介状を出します。
紹介先の先生へは話が伝わっていて小児科の先生を通して外来予約をとってくださいとの事だったけど
県立病院小児科の先生も症例を見たことがなく、ここではどんな病気か説明できないので紹介先の専門の先生から詳しく聞いてくださいとの事で詳しい事が解らないまま不安な気持ちで2018年9月半ば紹介先の病院を受診。
専門の先生によると、お腹の皮疹、耳垂れ、頭のコブ全ての症状が小児がんの一種であるランゲルハンス細胞組織球症による症状であったことが解った。
紹介先の先生により診断が下った時、今まで何の病気かもわからず、いろんな病院を転々とし毎日不安に思っていたことが
診断が下り、病名が分かった事で安心した半面、これからすぐにでも入院して治療を始め長期入院が必要という事、抗がん剤を使って治療しなければいけないこと、強い薬の為、中心静脈カテーテル(CV)と呼ばれるカテーテルを全身麻酔で手術し、胸に入れる事。
抗がん剤による副作用(嘔吐や脱毛等)の説明、生存率、再発率、骨髄抑制をするため、血液の数値が下がり輸血を必要としていくこと。
診断が下り、安心した半面これから娘に起きるいろんな現実を先生から説明を受け、頭の中は真っ白で先生の言葉は聞こえていても
ただただ涙しか出なかった。
現実を受け止め、前向きに娘と一緒に病と闘う気持ちになるまで考える時間もかかった。
同じような病気を持つお母さん達、現実と向き合って治療を始めている子どもとお母さんを見て本当に誇りに思った。
治療前の入院になり、病棟を案内されたとき、もうすでに治療を始めている子どもたちが沢山いた。
こんなに沢山病と闘っている子どもがいるんだ、今まで知らなかった。
薬の副作用は出ているけど、私に抱っこされ、きょろきょろしている娘をみて
笑顔で「赤ちゃんだ―!」と駆け寄って話しかけてきてくれる子供たちを見て涙がでそうなのを必死で我慢した。
夜も副作用に苦しみ、眠れない子もいてこれから娘体調も変わっていくんだという事
症状は出ているが成長し、ハイハイしたり動きが活発になってきている娘をみて1歳にもならない赤ちゃんの胸にカテーテルを入れる事の怖さ、漏れると皮膚がただれるほど強い薬を小さな身体に使う事、副作用、本当に抗がん剤でしか治療できないのか、治療を本格的に始まる前の入院をし始めても全然気持ち整理がつかなくて、カテーテルを入れる手術の前の日、怖くなって先生に相談した。先生はアメリカの画像診断する機関にも意見を聞いてくれていて、胸と臓器にも腫瘤があることが解ったと説明を受けた。治療をしないといけないことは分かっているけど数日間でいろんな事が起き気持ちと頭の整理をすることが難しく何度も先生に相談した。
何度も私の少ない語彙での相談に乗ってくれてありがたかったけど、旦那が上の子二人の世話で家に帰っていて先生に相談した時、「旦那さんも呼んでください。交えて話しましょう。他の兄弟は命かかってないですよね、この子は命かかっているんです」と言われなんだか気持ちが悶々として悲しかった。
娘の命がかかっていることは分かっているつもりでも他の兄弟もまだ幼く、大人が見ていないといけない状況で私たち親にとってもどちらも大切なのに、、先生は娘の命を心配して厳しい事いってくれている事も分かっている。でも他の兄弟の事も考えて治療していくことになる。
治療中他の兄弟の事も何かあった時、相談できる環境なの?とか色々不安になった。
この時、先生に娘を優先しないといけないことは理解しているつもり。でも他の兄弟も私たちにとっては同じ子どもなんです。
とでも言えていたらと考えたけどすべてにいっぱいいっぱいだった私には伝える気力もなかった。
何度か相談した時、先生がもう一か所の病院で同じ治療を受けられ、専門の先生がいるのでセカンドオピニオンを聞きにいきますか?
と提案してくれた。
すぐに返事をして、セカンドオピニオンを聞きに行った。
対応してくれた専門医の先生は、娘と同じ病気の子を治療した経験もあり、医者から見ても不思議な病気であること、アメリカでも治療研究があるが、日本の方が実績が高い事。この病気は治療法が決まっていて県内外どこの専門の病院に行っても同じ治療法だという事。穏やかな口調だけど病気の事をわかりやすく、抗がん剤を使っても赤ちゃんは細胞が新しいから延命ではなく病気を治すために使っていく事、使う抗がん剤の種類や副作用の事、治療中の事、家族の事、チームとなって治療をしていくことを私たち一般の人でもわかりやすく親身になって説明してくれた。
直観だけど、この先生に娘の命を預けたいと思って、すぐ先生に入院のベットの空き状況があるかどうか、入院受入をしてもらえるかどうかを聞いて、先生が調整してくれたあと先生の元で治療していくことが決まった。
2018年10月入院開始。
長文読んでいただきありがとうございます。
今回、親目線の気持ちがメインになってしまいましたが、娘の成長の様子もこれから書いていこうと思います。